手と思想の職人録 (noteでも読めますhttps://note.com/kurashikku_work)
最近、少しだけ違和感がありました。
「出来事」という言葉についてです。
ある日、ふと気づいたんです。
思い返すと、
いつも出来事を語っているつもりで、
最初から意味を語っていた気がする、と。
これが、自分にとっては衝撃でした。
⸻
たとえば、
「昨日こんな出来事があってさ」と話すとき。
そのあとに続くのは、
ほとんどの場合、その出来事が自分にとって何だったのか、
という“意味”です。
出来事そのものを語っているようで、
本当はその出来事の解釈を語っている。
そう思ったとき、
出来事という言葉は、
意味が入ったフォルダの名前みたいなものかもしれない、と感じました。
出来事の中に意味があるのではなく、
出来事という言葉で既に意味を束ねている。
それなら、
出来事=意味
という関係が成立しているのかもしれない。
この一文に辿り着いたとき、
見えているのに霧でよく見えなかったものが、
初めて鮮明に見えた気がしました。
⸻
そして同時に、
普段何気なく使っている言葉の影響力を改めて考えました。
無意識のうちに、
出来事という言葉を使った瞬間、
それを「事実」として固定してしまっていないか。
変えられないものとして扱っていないか。
もしそうだとしたら、
それは自分で自分にかけている洗脳のような作用があると思います。
⸻
僕は、これまで「後付け理論」と呼んでいるやり方で生きてきました。
出来事を振り返り、
意味を再定義し、
肯定的に書き換える。
そうやって後悔なく生きてきた。
でも、ある瞬間、
うわ、やばいことに気づいた、と思った。
そもそも最初に確認していた“事実”自体が、
無意識の思考を経た幻想だったとしたら?
自分だけの世界で作った欠陥品を、
誰かが作った欠陥品だと勘違いして、
一生懸命直していただけだったとしたら?
これは正直、ショックでした。
怖さも、落胆も、驚きも、
そして少しの喜びも混ざっていました。
⸻
でも、書き出していくうちに、
少し落ち着いてきました。
仮に最初の“事実”が幻想だったとしても、
その意味付けによって、
自分の在り方や選択や未来は確実に変わってきた。
ならば、
僕は事実の中で生きているのではなく、
意味の中で生きているのかもしれない。
時間は出来事の積み重ねではなく、
意味の更新履歴なのかもしれない。
これはまだ仮説です。
言葉の持つ影響力については、
もう少し自分なりの解釈で深めていきたいテーマです。
出来事と言いかけたとき、思ったときに、
また立ち止まって思考したいと思います。
それだけでも、世界の捉え方は少し変わるはずです。
もしかすると、この先
世界観の上書きが起こるんじゃないか、と。
このテーマは、機会があればまた深掘るかもしれません。
もう随分と昔の話になりますが、
僕はずっと、祝われることに抵抗がありました。
見て見て、と言うことが苦手でした。
褒められるのも、
人に時間を使ってもらうのも、
どこか申し訳ない。
お願いすること自体が、
相手の時間を奪うことのように感じていました。
だから、
そういう立場に立つことを避けてきました。
特に記憶に残っているのは、結婚式の披露宴です。
当日を迎えるまで、正直かなり苦しかった。
招待状を出すということは、
自分で人を選ぶということです。
来てほしい人を選ぶ。
来なくていい人を、選ばない。
しかも、ご祝儀という暗黙の了解。
時間も、お金も、気持ちも、
差し出してもらう立場に立つ。
僕にはそれが、
どうしても居心地が悪かった。
せめて、自分にできることをしようと思いました。
来てくれた人が喜んでくれるように。
少しでも楽しい時間になるように。
必死で準備しました。
でも今思えば、
その時点で僕は、
大事な何かを見誤っていました。
当日。
最後のスピーチ。
用意していた台本を、
僕は握りつぶしてポケットにしまいました。
何も言えなかった。
ただ、感情が溢れて、
止まらなかった。
号泣していました。
驚きました。
自分が泣いていることにも。
そして、
目の前の景色にも。
あいつも。
あの人も。
こんな顔で泣くんだ。
こんなにぐちゃぐちゃになって。
それが、自分に向けられている。
僕は、
まったく期待していなかった。
いや、期待しないようにしていたのかもしれない。
自分は人を祝える。
全力で祝う。
でも、
みんなが自分に対してそこまでだとは、
どこかで思っていなかった。
冷めていた。
悟ったような顔をしていた。
感情を揺らさないことが、
強さだと思っていた。
でも違った。
無償の愛は、
ちゃんとそこにあった。
しかも、
自分が思っていたより、
ずっと大きかった。
台本をしまって、
言葉にならないまま、
そのままの気持ちを話しました。
上手く話せていなかったと思う。
聞き取れなかった部分もあったはずです。
でも、
後からたくさんの人に言われました。
こんなに感動した披露宴は初めてだった。
人の結婚式で、
こんなに泣いたのは初めてだった。
自分も式を挙げたくなった。
新婦側の、
ほとんど面識のない人まで、
泣きながら声をかけてくれました。
それも、衝撃でした。
あの日、
僕の世界観はひとつ上書きされました。
ネガティブな感情は、
隠すものだと思っていた。
弱さは、
飲み込むものだと思っていた。
でも違った。
曝け出したときにしか、
届かないものがある。
共鳴してくれる人が、
いる。
あの日のことを思い出して涙が出るのは、
きっとまだ、あの温度が自分の中に残っているからだと思います。
理屈ではなく、
ちゃんと受け取った記憶があるから。
あのとき僕は、
強くあろうとしていた自分が、
少しだけほどけた瞬間を経験しました。
与える側でいようとすることで、
どこかで均衡を保っていた自分が、
受け取ることを許した瞬間だったのかもしれません。
泣いてしまったことも、
うまく喋れなかったことも、
いま振り返ると、整っていないままの自分でした。
でも、あれが一番まっすぐだった。
あの不格好さが、
いちばん本当だった。
ネガティブも、
迷いも、
疑いも、
冷めていた自分も。
全部ひっくるめて、
あの日は確かにそこにいた。
いま思うのは、
感情が揺れたこと自体が、
自分がちゃんと生きていた証だったんだろうな、ということです。
止めずに流れた。
隠さずに出た。
それだけで、十分だったのかもしれません。
そう思うと、
あの日の涙は、
恥ずかしいものでも、未熟さでもなく、
ただ、循環のひとつだったように感じています。
この出来事の意味も、
これから先でまた変わるのかもしれません。
今日はここまでにします。
方向の話を書きながら、
もうひとつ気づいたことがあります。
僕は、
あちこちに基準となる杭を打ってきました。
ここが成功。
ここが失敗。
ここが上。
ここが下。
疑いもなく。
そこに杭があること自体を、
疑っていなかった。
しかもその杭は、
動かせないものだと思っていました。
動かしちゃいけないものだと思っていた。
でもよく見ると、
それは誰かが昔打った杭かもしれない。
ただ抜き忘れただけの杭かもしれない。
近くで見たら、
杭ですらなかった、なんてこともある。
視点が変わると、
その杭の位置も意味も変わる。
さらに引いて見れば、
杭自体が見えなくなる。
それでも僕は、
その杭を基準にして
自分の現在地を測っていました。
でも、杭は動かしていい。
抜いてもいい。
打ち直してもいい。
そう思えたとき、
世界はさらに軽くなりました。
自分のスパイラルの周りには、
他の人のスパイラルもある。
それぞれが、
それぞれの杭を持ちながら回っている。
でも、
その集合体もまた回っている。
近くで見ると差があるように見えるのに、
遠くで見ると、
ひとつの流れにしか見えない。
僕が作っている“福田世界”も、
無数にある世界のひとつなんだと思います。
自分が受け入れられる形で、
世界を設計している。
でも、それがすべてじゃない。
外に出れば、
また別の設計の世界がある。
そう思うと、
またさらに次元の違う世界観に上書きが起こるんじゃないか、と。
ワクワクしています。
スパイラルだと気づいたとき、
少し落ち着きました。
振れていても進んでいる。
同じところを何度も通っているようでも、
僅かにずれている。
それで、かなり腑に落ちた。
でも、まだスッキリしないことがありました。
前って、なに?
宇宙空間に放り出されたとします。
自分の目の前が前で、
頭の方向が上で、
足の方向が下で、
右手のほうが右。
それはわかる。
でも、そのまま目の前に進んだら、
それは本当に前なんでしょうか。
方向を成立させたいなら、
どこかに仮の杭を打つしかない。
「こっちを北とする」と決める。
でもそれは、
自分がその場で定義しただけの方向です。
絶対の北ではない。
例えば、
別の場所から北へ向かって進んできた人がいるとします。
その人も、自分も、
それぞれが「北」だと思う方向へ進んでいる。
そして、どこかですれ違ったとき、
あれ?と初めて気がつく。
方向は、それくらい曖昧で不安定なものなんだと思います。
この世界に、
揺るがない共通の上下左右が
最初から用意されているわけじゃない。
あるのは、
それぞれが仮に定めた方向だけ。
それなのに、
その仮の方向を「合っている」とか
「みんな共通だ」と思い込んでしまうことがある。
でもそこに気づいたとき、
心が少し軽くなりました。
世界が、急に広くなった感じがしました。
自分が自由に方向を定めていいなら、
他の人も自由に定めていていい。
同じでなくていい。
それぞれが、それぞれの空間を
それぞれの北で進んでいる。
そう思えたとき、
空間が柔らかくなった気がしました。
スパイラルで世界を捉えるようになってから、
上下左右という感覚は、かなり薄くなりました。
振れているかどうか。
軸を感じられているか。
動いているかどうか。
それがわかれば、十分だと思えるようになりました。
個々のスパイラルを少し離れて見ると、
あるイメージが浮かびます。
顕微鏡で血液の流れを見ているような感覚です。
一つひとつは、
あっちへ揺れ、こっちへ揺れ、
ぶつかり、離れ、漂っている。
上下左右に向かっているようにも見える。
でも全体は、
確実に一方向へ流れている。
心臓から出て、
また心臓へ戻る。
循環している。
それで、生きている。
個々の動きは自由に見えるのに、
全体はちゃんと流れている。
その構造が、
自分の中のスパイラルの感覚と重なりました。
不安定に見えていたものが、
実は流れの一部だった。
揺れは揺れでいい。
でも止まっていないこと。
流れていること。
そこに、僕は生きている実感を感じます。
方向の正しさより、
動いているという感覚のほうが、
自分にはしっくりきています。
活きていなければ、生きていられない。
たぶんその感覚は、
ここに繋がっているんだと思います。
少し長くなってきたので、
後編に続きを書きたいと思います。
自分が不安定であることを認めたとき、
少しだけ、不安もありました。
信念や大切にしていた軸が、
一瞬で書き換わることもある。
そういうことになる。
じゃあ、自分とは何なんだろう。
どんな人間なんだろう。
自分のアイデンティティが、
少し曖昧になった感じがしました。
でも、そこで気づいたことがあります。
「振れている」と認識できるということは、
そこに基準があるということ。
振れ幅だとわかるということは、
どこかに軸がある。
もし本当に軸がなければ、
振れていることすらわからない。
そう考えたとき、
少し安心しました。
自分が揺れていると感じるその瞬間に、
実は軸はちゃんと存在している。
揺れていることを、
自分が認知しているから。
それがわかったとき、
不安は少しずつ消えていきました。
むしろ逆でした。
振れ幅があるからこそ、
自由に動ける。
軸を見失わなければ、
どれだけ振れてもいい。
上にも下にも、
右にも左にも。
大きく振れれば振れるほど、
見える景色も増えていく。
ここで、もう一つ腑に落ちたことがあります。
ずっと「円」のイメージで考えていました。
中心があって、
そのまわりをぐるぐる回る。
でも、それだと何か足りない。
動いているようで、
進んでいない感じがしていた。
そこに時間が加わったとき、
全体像が少し立体的に見えました。
中心と振れ幅、
そして時間。
それは円ではなく、
スパイラルでした。
ただ振れているように見えて、
実は進んでいる。
同じところを何度も通っているようでも、
僅かに進んでいる。
軸を保ったまま、
回転しながら進んでいる。
それがわかったとき、
ものすごく安堵しました。
ああ、これでいいんだ、と。
世界が少し、キラキラして見えました。
このスパイラルは、
どこに向かっているのかはわかりませんでした。
でも、その時点では
「どこに向かっているのかわからない」ということ自体が、
不安ではなくなっていました。
上下も左右も、
前も後ろも、
実はそんなにはっきりしたものではないのかもしれない。
ただ、軸を保ったまま回転しながら進んでいる。
それだけで十分だと思えた。
「どこ」というものについては、
そのあと、また少し考えることになります。
位置や方向というものを、
どう捉えるのか。
それもまた、自分の中で上書きされていく話でした。
その話は、また次に書こうと思います。
