手と思想の職人録 (noteでも読めますhttps://note.com/kurashikku_work)
ただ、うどんを食べながら思ったこと。
この前、大好きなうどん屋に行きました。
気がつけば、もう5年くらい通っている店です。
多いときは、月に2〜3回行っていた時期もあります。
4人で行きましたが、
あまり会話もなく、静かにうどんを食べていました。
いつも通り、変わらず美味いです。
厨房の奥では、
店主が黙々とうどんを作り続けています。
同じ場所で、同じ動きで、ずっと作り続けている。
たぶん、夢中なんだと思います。
もちろん、本当のところはわかりません。
ただ、そうだったらいいなと思いながら、食べていました。
もしこの店主にとって、
自分が夢中になれることと、
家族への責任や生活が、
「うどん」という形で重なっているのだとしたら、
すごくいいなと思ったんです。
この店には、従業員もけっこういます。
みんな黙々と、テキパキと動いています。
静かなんだけど、活気がある店です。
接客が特別丁寧というわけでもなく、
フレンドリーな雰囲気でもない。
でも、嫌な感じは一つもありません。
それぞれが、自分の持ち場を
ただ淡々とこなしている。
その空気が、すごくいいなと思いました。
店主はうどんを作っている。
従業員は店を支えている。
僕たちはうどんを食べている。
それぞれが、それぞれの役割を
ただやっているだけなんですが、
それが自然に噛み合っている感じがしました。
でも考えていくと、
その支えている人たちも、
別のところでは誰かに支えられているはずです。
僕も同じです。
自分がやっている仕事も、
一人では成立しません。
家族だったり、
お客さんだったり、
関わってくれる人がいて、
はじめて成り立っています。
そう考えると、
誰かの夢中は、誰かに支えられていて、
その人もまた、別のところで夢中を支えられている。
やがてそのバトンは、巡り巡って自分に返ってくる。
夢中は、
そうやって循環しているのかもしれないと思いました。
美しい構造だなと思います。
でもきっと、
特別なことではなくて、
こういうことは、
いろんな場所で起きているんだと思います。
夢中になれることがまだなくても、
身近な誰かの支えになっていれば、
そのバトンはどこかで巡って、
また自分に返ってくるのかもしれません。
そんなことを考えながら、
うどんを食べていました。
いい店だなと思ったのは、
そういうところだったのかもしれません。
またそのうち、食べに行くと思います。
現場で「福田さんは何屋なんですか?」と聞かれると、実は少し困ります。
監督さんが施主さんにこう紹介することがあります。
「クロス屋の福田さんです。」
でも別の現場では、
「大工の福田さんです。」
と紹介されることもあります。
そしてその瞬間、
僕はだいたい少しだけ困ります。
僕は何屋なんだろう。
自分でもたまに考えます。
多能工、と言えば一番近い気がします。
でも多能工と言うと、
「色々できるけど専門ほど深くないのでは?」
と余計な心配をかけることがあります。
だから実務上は、
「大工です」
と言っておくことが多いです。
でもそれも、少しだけ正確ではない気がしています。
昔の大工は、今のように細かく職種が分かれていませんでした。
家のことはだいたい大工が見て、
必要に応じて職人を呼びながら現場を納めていた時代があります。
今はそこが細かく分業化されています。
大工
クロス屋
設備屋
電気屋
塗装屋
専門の職人がバケツリレーのように現場に入り、
一つの家が出来上がっていきます。
それはそれで合理的な仕組みです。
ただ、現場にいると
少し違う景色も見えてきます。
僕は住宅のリフォームや修繕の現場で、
大工
設備
内装
電気
水道
調査
清掃
施工管理
こういう仕事を、状況に応じて自分で組み合わせながら対応しています。
だから現場では、
クロス屋として紹介される日もあれば、
大工として紹介される日もあります。
何屋ですか、と聞かれると困る理由は、
たぶんここにあります。
ただ、現場にいると
もっと別のことを考えることが多いです。
それは、
「この現場の問題はどこにあるんだろう」
ということです。
ここで少しだけ、前回の記事で書いたことをもう一度書きます。
たとえば、
「他社で断られた」
「頼める人が見つからない」
「どうやって解決すれば良いかわからない」
「ヤバいことになってる現場なんですが…」
そういう相談が、僕のところにはよく来ます。
他社施工の是正工事や、
クレーム解決のような依頼も多いです。
現場に入ると、
設備の問題なのか
施工の問題なのか
建物の構造なのか
それとも別のところに原因があるのか
いろいろな可能性を見ていきます。
問題の核になっている部分が見えてくる瞬間があります。
「ああ、ここが原因だったのか」
そう思えた瞬間、
僕の中ではだいたい答えが見えています。
ただ、この“核”というのは
設備の不具合とは限りません。
実際の現場では、
施工不良ではないのにトラブルになっているケースもよくあります。
多くの場合、
工事前の打ち合わせ不足
関係者の認識の違い
期待値のギャップ
こういうところに原因があります。
この場合、
いくら丁寧に工事をやり直しても
根本の解決にはならないことがあります。
なぜなら、
問題は工事ではなく
「認識のズレ」にあるからです。
ここを整理して、
関係者の認識を揃えない限り
本当の意味で現場は納まりません。
この業界では、
認識の調整が得意な人はそれほど多くありません。
というより、
下請け構造の仕事の流れ自体が
認識のズレを生みやすい構造になっています。
僕は工事をしながら
認識の調整もするタイプなので、
原因さえ見えれば
だいたい解決までの道筋は見えてきます。
だから核を捉えた瞬間に、
「これでまた解決したな」
と思うのです。
こういう仕事を続けていると、
現場の構造が少しずつ見えてきます。
ここまでは前回の記事でも書いたことです。
そしてもう一つ、
現場で必ずぶつかるものがあります。
それが
時間と予算
です。
本当は、
時間に余裕があり
予算にも余裕があれば
もっと良い選択肢を
いくつも提示できる現場は多いと思います。
でも現実の現場では
ほとんどの場合、それがありません。
なぜなら
余裕には費用がかかるからです。
見積もりを比較するとき、
余裕を見ている会社の見積もりは
どうしても高く見えます。
余裕を見ていない会社の見積もりは
安く見えます。
多くの場合、
安い方が選ばれます。
でも実は、
現場では
「何かが起きる」ことの方が普通です。
むしろほぼ必ず起きます。
その時どうするか。
余裕がない現場では、
その場で何とか納める方法を
考えることになります。
見えない部分で
妥協やごまかしが生まれることもあります。
これは誰か一人が悪いわけではありません。
職人も
監督も
営業も
みんなこの構造の中で
調整しながら仕事をしています。
現場が本当に良い形で納まるかどうかは、
この調整をしている人の手腕に
大きく左右されます。
管理や調整をする人の存在は、
想像以上に重要です。
その人件費を削るというのは、
実はかなり大きなリスクを伴います。
個人のお客様が
職人や施工業者に直接依頼する場合も、
この部分は
少し意識しておいた方がいいかもしれません。
調整のプロがいるかどうか。
それだけで
現場のリスクはかなり変わります。
こういうことを考えながら、
今日も現場で仕事をしています。
何屋なんだろう、と
たまに自分でも思います。
でも結局、
目の前の現場を
ちゃんと納めること。
僕の仕事は
たぶんそれなんだと思います。
こういう構造の中で、現場は動いています。
だから僕は、何屋と呼ばれるかよりも、
目の前の現場をどう納めるかを考えて仕事をしています。
また現場の話は、そのうち書くと思います。
前回の記事で、
僕にとって見積もりというのは
命の時間を交換する行為
だという話を書きました。
だから僕は、
誰と仕事をするかをとても大切にしています。
言い換えると、
僕は人を選びます。
お客様もそうですし、
取引先もそうです。
これは好き嫌いというより、
お互いが何を重視している人間なのか。
そこを確認する作業だと思っています。
この確認を飛ばしたまま
仕事を進めることは、僕にはできません。
⸻
一方で、
僕は仕事そのものはほとんど選びません。
むしろ逆で、
「他社で断られた」
「頼める人が見つからない」
「どうやって解決すれば良いかわからない」
「ヤバいことになってる現場なんですが・・・」
そんな相談が来ることがよくあります。
他社が施工した現場の是正工事や、
クレーム解決のような内容の依頼も多いです。
こういう話を聞くと、
正直少しワクワクします。
「よし、出番だな」
と思うからです。
⸻
もちろん、
最初から余裕があるわけではありません。
現場に行くと、
状況はぐちゃぐちゃ。
情報も足りない。
経緯も分からない。
正直、
少し怖いですし、
焦りもあります。
でも僕はまず、
誰が関わっているのか。
どういう流れでここに至ったのか。
そんなことを整理します。
登場人物と相関図、
そして現場に至るまでのストーリー。
そこが見えてくると、
いくつか仮説が立ってきます。
「こういう経緯だったのかもしれない」
「いや、こっちの可能性もある」
そんなことを考えながら
状況と照らし合わせていく。
そしてある瞬間、
「あ、そういうことか」
と腑に落ちる瞬間があります。
現場のすべてが見えるというより、
問題の核になっている部分が見えてくる。
ただ、この「核」というものは、
そんなに単純なものではありません。
たとえば建物や設備の不具合であれば、
物理的な原因が見つかることもあります。
でも、クレーム事案や是正工事の場合、
必ずしも工事そのものに施工不良があるとは限りません。
むしろ多くの場合は、
工事前の打ち合わせ不足だったり、
関係者間の認識の違いだったり、
期待値のギャップだったり。
そういう人と人の間にあるズレが
問題の核になっていることも多いんです。
この原因を解明しないまま、
いくら丁寧に工事をやり直しても、
いくら良い施工をしても、
それは解決に至る対処にはならないことがあります。
だから僕はまず、
工事に原因があるのか。
認識の違いによるトラブルなのか。
そこを見極めてから、
解決へ向けてアプローチします。
この業界は下請け構造も多く、
どうしても認識のズレが起きやすい。
そして、
その認識の調整が苦手な人も多い印象があります。
僕はどちらかというと、
認識の調整をしながら工事ができるタイプ
です。
⸻
たぶん僕は、
多能工という立場で仕事をしていることも
関係していると思います。
設備、電気、水道、内装、木工。
一つの専門だけでなく
いろいろな分野に触れてきたからこそ、
現場を部分ではなく
全体の構造として見る癖がつきました。
だからこそ、
問題が起きたときも
「どこが壊れているか」だけではなく、
「この現場のどこに歪みが生まれているのか」
という視点で
解決の糸口を探している気がします。
⸻
そして、
ことの原因さえわかれば、
「ああ、ここが核だったのか」
と腑に落ちる。
その瞬間、
僕の中ではもう答えが出ています。
「これでまた解決したな」
という感覚になります。
まだ工事は始まっていないんですが、
もう道筋は見えている。
問題はたくさんあるように見えても、
だいたい核になっているものは一つだったりします。
僕にとっての仕事の面白さは、
だいたいこの瞬間にあります。
⸻
こういう現場に
対応できるようになったのは、
下請けの現場で
鍛えられてきたからだと思っています。
下請けの現場は、
条件が厳しかったり、
初めて触る施工だったり、
判断を間違えると大変なことになる現場だったり。
正直、
なかなかハードです。
でも僕はそれを、
最高の実戦修業の場
だと思っています。
新しい知識も増えるし、
判断力も鍛えられる。
だから僕は、
下請けの現場とも真剣に向き合っています。
⸻
ただ、
僕がこの仕事を続けている理由は
それだけではありません。
もっと単純な話で、
自分の経験と技術と知識を、
自分の手の届く範囲で困っている人に還元したい。
その思いがあるから
この仕事を続けています。
だからこそ、
下請けのハードな現場で鍛えたものを
個人のお客様の現場では
そのまま全部使うことができます。
そこでは
僕がすべて判断できるからです。
⸻
振り返ってみると、
僕の仕事のスタンスは
ずっと同じでした。
仕事は選ばない。
でも、
誰と仕事をするかは選ぶ。
そして、
下請けの現場で鍛えたものを
困っている人に還元する。
⸻
こうして書いてみると
少し大げさに聞こえるかもしれません。
でも、
現場で起きていることを
一つ一つ整理して
解決していく。
その積み重ねが
僕の仕事であり、
僕の暮らしなんだと思います。
困っている人がいて、
その現場に呼ばれて、
構造が見えて、
解決していく。
たぶん僕は、
そういう仕事が
好きなんだと思います。
現場にいると、
また何か思考が始まると思います。
そのときは、また記録しておこうと思います。
今日は仕事のことを書きます。
性分かもしれませんが、僕にとって見積もりは命がけの作業です。
若い頃は、
材料費を足して、
手間を計算して、
経費を乗せる。
ただの数字の作業だと思っていました。
でも続けるうちに気づきました。
これは、
自分の時間と、相手の時間をどう交換するかを決める作業だ、と。
歳を重ねるごとに、時間を命そのものだと感じるようになったからです。
自分の命の時間と、
相手の命の時間を交換する行為。
そう捉えるようになってから、
見積もりは軽いものではなくなりました。
見積もりを書くとき、
頭の中では同時にいくつものことが駆け巡ります。
・自分の生活水準
・家族への責任
・相手の生活水準
・お互いが守ろうとしているもの
・見えない背景
・言葉にされない事情
・技術の価値
・時間の価値
・誠実さ
・これまでの関係性とこれからの関係性
・将来の自分
・将来の相手
重なっているようで、
一つ一つは微妙に違います。
見積もりは、考えれば考えるほど答えが出ません。
深い。
だからこそ、
軽く扱われるとかなり心が苦しくなります。
「あれとこれも、あと何パターンか見積もりください」
「やっぱり一旦白紙にして、別案ください」
それ自体は普通のやり取りです。
でも僕にとって見積もりは時価です。
材料の時価ではなく、
経緯や関係性の時価です。
福田にとっての1000円は、
相手にとって10000円かもしれないし、100円かもしれない。
では、その関係性の中で
お互いに納得のいく物差しはどう決めるのか。
深く熟考した見積もりをするなら、
それがどれだけ難しいことか、想像できると思います。
命の時間を交換する前に、
僕がどうしても必要だと思っていることがあります。
それは、お互いに何を重視している人間なのかを確認すること。
はっきり言えば、
相手の命の重みを想像できる人かどうか。
これは直接「できますか?」と聞いて
イエスかノーで決まるものではありません。
状況を誠意を持って伝え合う中で、
自然と見えてくるものです。
だからこの作業を平気でスキップしてしまう関わり方をする人とは、
僕は取引できません。
わからないなら、
はっきりと、さようならと言いたい。
自分のためにも。
家族のためにも。
そしてその人のためにも。
それが、僕にとってのお互いの尊重です。
初めての問い合わせで、
「こういう工事は、おいくらくらいですか?」
と聞かれることがあります。
僕は答えます。
「過去の参考金額はお伝えできます。ただ、まずはお話を聞いて、現場を見ないとわかりません」
そこで終わることも多い。
金額だけを知りたいなら、
僕である必要はない。
一方で、
難しい背景のある仕事や、
「どこにも頼めなくて」と言われる仕事。
そういう相談から、
仕事を頼まれなかったことはありません。
最初から、重みが含まれているからだと思います。
電話やメール、LINE。
そのやり取り一つでも、
何を大切にしている人かは見えてきます。
応答するかどうか。
いつ返すか。
どんな言葉で返すか。
それもまた、
命の時間をどう扱うかの判断です。
職人は、だんだんそういう生き物になっていきます。
ずっと時間と身体を削ってきた人間は、
自然と重みを持つ。
これは職人に限らないと思っています。
たとえば、ベテランの母たち。僕のお客様に多い種族です。
誰と話をしていても、
僕からは職人の先輩にしか見えません。
話さなくても、お宅にお邪魔して、家と母を見ればもう在り方が滲み出ている。
守るものを守り続けてきた人と、その歴史が刻まれた家が持つ、オーラみたいなものだと思います。
毎日いろんなお宅で仕事をされている方なら、この感覚はスッと共感できるんじゃないでしょうか。
僕の間口は広いほうだと思います。
基本は歓迎スタンス。
でも入り口にはゲートがあります。
重みを想像できるかどうか。
そこだけは譲れない。
入れない人もいる。
でもそれは否定ではありません。
重視するものが違うだけ。
だからこそ、
最初から出会わない努力をする。
どちらかが大切なものを
妥協しなければならない状況を作らない。
それが僕のやり方です。
そんな見積もりと、ずっと向き合ってきました。
今の見積もりは、
これまでの更新履歴の上にあります。
値段をつけるということは、
お互いの時価を擦り合わせるということ。
だから簡単には出せない。
そして簡単には曲げない。
第六回を書きながら、
正直、衝撃がありました。
自分がやってきた後付け理論。
出来事を意味で書き換えることで、
後悔なく生きてきたつもりでした。
でも。
もし、最初に思い返している“出来事”の段階で、
すでに思考が働いていたとしたら?
思考は言葉で動いているはずで、
そのとき無意識に「出来事」という言葉を使っていたとしたら?
出来事という言葉には、
事実というニュアンスが含まれている。
つまり、
思い返した瞬間に、
それを“変えられない事実”として固定していた可能性がある。
この構造に気づいたとき、
天地がひっくり返るような感覚がありました。
⸻
これまでの作業を整理すると、こうなります。
1. 出来事を思い返す
2. 未来に与える影響を肯定的に捉える
3. 過去を肯定的な意味として確定させる
4. 後悔なく生きる
5. 繰り返す
でも、
①の段階で既に“事実”が加工されていたとしたら?
それは、
欠陥を修理していたのではなく、
最初から自分が描いた設計図の上で
調整していただけだったのかもしれない。
これは不毛なのか。
それとも、
人間とはそういう存在なのか。
⸻
いまは、まだ断定していません。
ただ一つだけ言えるのは、
意味付けは、
自分の在り方を確実に変えてきた。
ならばそれは、
幻想でも無駄でもない。
僕はたぶん、
事実を扱っていたのではなく、
意味を扱って生きてきた。
そのことを、
今回初めて真正面から認識しました。
正直、少し怖い。
でも同時に、
ものすごく面白い。
この先、
さらに深く解体していくかもしれないし、
全然違う方向に進むかもしれない。
いまはまだ途中です。
ただ、
うわ、やばいことに気づいた、と思ったこの感覚だけは、
ちゃんと記録しておこうと思います。
