手と思想の職人録
もう随分と昔の話になりますが、
僕はずっと、祝われることに抵抗がありました。
見て見て、と言うことが苦手でした。
褒められるのも、
人に時間を使ってもらうのも、
どこか申し訳ない。
お願いすること自体が、
相手の時間を奪うことのように感じていました。
だから、
そういう立場に立つことを避けてきました。
特に記憶に残っているのは、結婚式の披露宴です。
当日を迎えるまで、正直かなり苦しかった。
招待状を出すということは、
自分で人を選ぶということです。
来てほしい人を選ぶ。
来なくていい人を、選ばない。
しかも、ご祝儀という暗黙の了解。
時間も、お金も、気持ちも、
差し出してもらう立場に立つ。
僕にはそれが、
どうしても居心地が悪かった。
せめて、自分にできることをしようと思いました。
来てくれた人が喜んでくれるように。
少しでも楽しい時間になるように。
必死で準備しました。
でも今思えば、
その時点で僕は、
大事な何かを見誤っていました。
当日。
最後のスピーチ。
用意していた台本を、
僕は握りつぶしてポケットにしまいました。
何も言えなかった。
ただ、感情が溢れて、
止まらなかった。
号泣していました。
驚きました。
自分が泣いていることにも。
そして、
目の前の景色にも。
あいつも。
あの人も。
こんな顔で泣くんだ。
こんなにぐちゃぐちゃになって。
それが、自分に向けられている。
僕は、
まったく期待していなかった。
いや、期待しないようにしていたのかもしれない。
自分は人を祝える。
全力で祝う。
でも、
みんなが自分に対してそこまでだとは、
どこかで思っていなかった。
冷めていた。
悟ったような顔をしていた。
感情を揺らさないことが、
強さだと思っていた。
でも違った。
無償の愛は、
ちゃんとそこにあった。
しかも、
自分が思っていたより、
ずっと大きかった。
台本をしまって、
言葉にならないまま、
そのままの気持ちを話しました。
上手く話せていなかったと思う。
聞き取れなかった部分もあったはずです。
でも、
後からたくさんの人に言われました。
こんなに感動した披露宴は初めてだった。
人の結婚式で、
こんなに泣いたのは初めてだった。
自分も式を挙げたくなった。
新婦側の、
ほとんど面識のない人まで、
泣きながら声をかけてくれました。
それも、衝撃でした。
あの日、
僕の世界観はひとつ上書きされました。
ネガティブな感情は、
隠すものだと思っていた。
弱さは、
飲み込むものだと思っていた。
でも違った。
曝け出したときにしか、
届かないものがある。
共鳴してくれる人が、
いる。
あの日のことを思い出して涙が出るのは、
きっとまだ、あの温度が自分の中に残っているからだと思います。
理屈ではなく、
ちゃんと受け取った記憶があるから。
あのとき僕は、
強くあろうとしていた自分が、
少しだけほどけた瞬間を経験しました。
与える側でいようとすることで、
どこかで均衡を保っていた自分が、
受け取ることを許した瞬間だったのかもしれません。
泣いてしまったことも、
うまく喋れなかったことも、
いま振り返ると、整っていないままの自分でした。
でも、あれが一番まっすぐだった。
あの不格好さが、
いちばん本当だった。
ネガティブも、
迷いも、
疑いも、
冷めていた自分も。
全部ひっくるめて、
あの日は確かにそこにいた。
いま思うのは、
感情が揺れたこと自体が、
自分がちゃんと生きていた証だったんだろうな、ということです。
止めずに流れた。
隠さずに出た。
それだけで、十分だったのかもしれません。
そう思うと、
あの日の涙は、
恥ずかしいものでも、未熟さでもなく、
ただ、循環のひとつだったように感じています。
この出来事の意味も、
これから先でまた変わるのかもしれません。
今日はここまでにします。
