手と思想の職人録

2026-02-28 00:59:00

もう随分と昔の話になりますが、
僕はずっと、祝われることに抵抗がありました。

 

見て見て、と言うことが苦手でした。

 

褒められるのも、
人に時間を使ってもらうのも、
どこか申し訳ない。

 

お願いすること自体が、
相手の時間を奪うことのように感じていました。

 

だから、
そういう立場に立つことを避けてきました。

 

特に記憶に残っているのは、結婚式の披露宴です。
当日を迎えるまで、正直かなり苦しかった。

 

招待状を出すということは、
自分で人を選ぶということです。

 

来てほしい人を選ぶ。
来なくていい人を、選ばない。

 

しかも、ご祝儀という暗黙の了解。

 

時間も、お金も、気持ちも、
差し出してもらう立場に立つ。

 

僕にはそれが、
どうしても居心地が悪かった。

 

せめて、自分にできることをしようと思いました。

 

来てくれた人が喜んでくれるように。

 

少しでも楽しい時間になるように。

 

必死で準備しました。

 

でも今思えば、
その時点で僕は、
大事な何かを見誤っていました。

 

当日。

 

最後のスピーチ。

 

用意していた台本を、
僕は握りつぶしてポケットにしまいました。

 

何も言えなかった。

 

ただ、感情が溢れて、
止まらなかった。

 

号泣していました。

 

驚きました。

 

自分が泣いていることにも。

 

そして、
目の前の景色にも。

 

あいつも。

 

あの人も。

 

こんな顔で泣くんだ。

 

こんなにぐちゃぐちゃになって。

 

それが、自分に向けられている。

 

僕は、
まったく期待していなかった。

 

いや、期待しないようにしていたのかもしれない。

 

自分は人を祝える。
全力で祝う。

 

でも、
みんなが自分に対してそこまでだとは、
どこかで思っていなかった。

 

冷めていた。

 

悟ったような顔をしていた。

 

感情を揺らさないことが、
強さだと思っていた。

 

でも違った。

 

無償の愛は、
ちゃんとそこにあった。

 

しかも、
自分が思っていたより、
ずっと大きかった。

 

台本をしまって、
言葉にならないまま、
そのままの気持ちを話しました。

 

上手く話せていなかったと思う。

 

聞き取れなかった部分もあったはずです。

 

でも、
後からたくさんの人に言われました。

 

こんなに感動した披露宴は初めてだった。

 

人の結婚式で、
こんなに泣いたのは初めてだった。

 

自分も式を挙げたくなった。

 

新婦側の、
ほとんど面識のない人まで、
泣きながら声をかけてくれました。

 

それも、衝撃でした。

 

あの日、
僕の世界観はひとつ上書きされました。

 

ネガティブな感情は、
隠すものだと思っていた。

 

弱さは、
飲み込むものだと思っていた。

 

でも違った。

 

曝け出したときにしか、
届かないものがある。

 

共鳴してくれる人が、
いる。

 

あの日のことを思い出して涙が出るのは、
きっとまだ、あの温度が自分の中に残っているからだと思います。

 

理屈ではなく、
ちゃんと受け取った記憶があるから。

 

あのとき僕は、
強くあろうとしていた自分が、
少しだけほどけた瞬間を経験しました。

 

与える側でいようとすることで、
どこかで均衡を保っていた自分が、
受け取ることを許した瞬間だったのかもしれません。

 

泣いてしまったことも、
うまく喋れなかったことも、
いま振り返ると、整っていないままの自分でした。

 

でも、あれが一番まっすぐだった。

 

あの不格好さが、
いちばん本当だった。

 

ネガティブも、
迷いも、
疑いも、
冷めていた自分も。

 

全部ひっくるめて、
あの日は確かにそこにいた。

 

いま思うのは、
感情が揺れたこと自体が、
自分がちゃんと生きていた証だったんだろうな、ということです。

 

止めずに流れた。

 

隠さずに出た。

 

それだけで、十分だったのかもしれません。

 

そう思うと、
あの日の涙は、
恥ずかしいものでも、未熟さでもなく、

 

ただ、循環のひとつだったように感じています。

 

この出来事の意味も、
これから先でまた変わるのかもしれません。

 

今日はここまでにします。