手と思想の職人録 (noteでも読めますhttps://note.com/kurashikku_work)
もう随分と昔の話になりますが、
僕はずっと、祝われることに抵抗がありました。
見て見て、と言うことが苦手でした。
褒められるのも、
人に時間を使ってもらうのも、
どこか申し訳ない。
お願いすること自体が、
相手の時間を奪うことのように感じていました。
だから、
そういう立場に立つことを避けてきました。
特に記憶に残っているのは、結婚式の披露宴です。
当日を迎えるまで、正直かなり苦しかった。
招待状を出すということは、
自分で人を選ぶということです。
来てほしい人を選ぶ。
来なくていい人を、選ばない。
しかも、ご祝儀という暗黙の了解。
時間も、お金も、気持ちも、
差し出してもらう立場に立つ。
僕にはそれが、
どうしても居心地が悪かった。
せめて、自分にできることをしようと思いました。
来てくれた人が喜んでくれるように。
少しでも楽しい時間になるように。
必死で準備しました。
でも今思えば、
その時点で僕は、
大事な何かを見誤っていました。
当日。
最後のスピーチ。
用意していた台本を、
僕は握りつぶしてポケットにしまいました。
何も言えなかった。
ただ、感情が溢れて、
止まらなかった。
号泣していました。
驚きました。
自分が泣いていることにも。
そして、
目の前の景色にも。
あいつも。
あの人も。
こんな顔で泣くんだ。
こんなにぐちゃぐちゃになって。
それが、自分に向けられている。
僕は、
まったく期待していなかった。
いや、期待しないようにしていたのかもしれない。
自分は人を祝える。
全力で祝う。
でも、
みんなが自分に対してそこまでだとは、
どこかで思っていなかった。
冷めていた。
悟ったような顔をしていた。
感情を揺らさないことが、
強さだと思っていた。
でも違った。
無償の愛は、
ちゃんとそこにあった。
しかも、
自分が思っていたより、
ずっと大きかった。
台本をしまって、
言葉にならないまま、
そのままの気持ちを話しました。
上手く話せていなかったと思う。
聞き取れなかった部分もあったはずです。
でも、
後からたくさんの人に言われました。
こんなに感動した披露宴は初めてだった。
人の結婚式で、
こんなに泣いたのは初めてだった。
自分も式を挙げたくなった。
新婦側の、
ほとんど面識のない人まで、
泣きながら声をかけてくれました。
それも、衝撃でした。
あの日、
僕の世界観はひとつ上書きされました。
ネガティブな感情は、
隠すものだと思っていた。
弱さは、
飲み込むものだと思っていた。
でも違った。
曝け出したときにしか、
届かないものがある。
共鳴してくれる人が、
いる。
あの日のことを思い出して涙が出るのは、
きっとまだ、あの温度が自分の中に残っているからだと思います。
理屈ではなく、
ちゃんと受け取った記憶があるから。
あのとき僕は、
強くあろうとしていた自分が、
少しだけほどけた瞬間を経験しました。
与える側でいようとすることで、
どこかで均衡を保っていた自分が、
受け取ることを許した瞬間だったのかもしれません。
泣いてしまったことも、
うまく喋れなかったことも、
いま振り返ると、整っていないままの自分でした。
でも、あれが一番まっすぐだった。
あの不格好さが、
いちばん本当だった。
ネガティブも、
迷いも、
疑いも、
冷めていた自分も。
全部ひっくるめて、
あの日は確かにそこにいた。
いま思うのは、
感情が揺れたこと自体が、
自分がちゃんと生きていた証だったんだろうな、ということです。
止めずに流れた。
隠さずに出た。
それだけで、十分だったのかもしれません。
そう思うと、
あの日の涙は、
恥ずかしいものでも、未熟さでもなく、
ただ、循環のひとつだったように感じています。
この出来事の意味も、
これから先でまた変わるのかもしれません。
今日はここまでにします。
