「手と思想の職人録」 noteの方が読みやすいです。https://note.com/kurashikku_work
「あまり」という活動について、
これまで、リアルや経緯みたいなものは、あまり書いてきませんでした。
ホームページもあるし、インスタもあるし、
どこかで、もう伝わってるんじゃないかって、
少し安心していたのかもしれません。
でも、
やっぱりそれだけだと、
どうしても「良い部分」だけが見える形になるなと感じています。
実際は、そんなに綺麗なことだけではなくて、
あまりは、自然にできた場所でもありません。
僕の中にずっとあった、
なんとなくの違和感とか、不足みたいなものから始まっています。
家族で自然に触れながら過ごせる場所。
遊べて、学べて、体験できて、
なんかこう、心が豊かになるような場所。
そういうのが欲しいなと思っていました。
でも同時に、
それは自分には用意できないものだとも思っていて、
どこかで諦めていたところもありました。
そんな中で、
同じような感覚を持った人と出会いました。
そのときに初めて、
一人じゃ無理でも、
誰かとなら、もしかしたらできるかもしれないと思ったんです。
資金はゼロでした。
時間も、かなり無理をしないと作れない。
正直、リスクしかないような状況でした。
でも、
動かないという選択はなかったです。
時間って、自分にとってはほとんど命みたいなものなので、
そこで止まることはできませんでした。
夢中で物件を探して、
事業計画を立ててプレゼンして、
やっと融資が通って、
なんとか手に入れました。
そこからは、
綺麗事とか理想通り、みたいな感じでは全然なくて、
収益化もできていないまま、
身銭を切って、何年も自分たちの負担で維持しています。
正直に言うと、
簡単ではないです。
むしろ、続けていくほど難しいなと感じることの方が多いです。
それでも続けているのは、
ここでしか得られないものがあるなと、
やっていて感じているからです。
出会いだったり、体験だったり、
うまく言葉にできない余白みたいなものだったり。
最初は、完全に自分のために手に入れた場所でした。
でも続けていくうちに、
同じように、
何かを内に抱えたまま、
諦めている人もいるんじゃないかと思うようになりました。
きっかけさえあれば、
誰かと一緒なら動ける人もいるんじゃないかと。
だから、まずは身近な人から、
少しずつ声をかけてきました。
よく、
「古民家再生をやっているんですか?」と聞かれます。
僕自身も、そう説明してしまうことがあります。
その方がわかりやすいからです。
でも正確には、
少し違うというか、
たぶん全然違う気がしています。
あまりは、
古民家を再生することが目的の場所ではありません。
何かを作れる人が集まる場所でもないし、
技術や知識を持っている人が主役になる場所でもありません。
もちろん、そういう人たちが来てくれることは多いです。
でも、
ここで大事にしているのは、
そういうことではなくて、
それぞれが持っている、これまでの体験とか感覚です。
それは、
良いとか悪いとか、
優れているとか劣っているとかではなくて、
全部同じ価値だと思っています。
同じ人生って一つもないので、
その差が、どんなに小さくても、
そこにしかないものがあると思っています。
何も持っていない、と思っている感覚も、
ここではそのまま価値になります。
自分と同じ背中と、違う背中。
その両方があって、初めて見えるものがあると思っています。
僕が「共育」と呼んでいるのは、そういう状態のことです。
だから、
あまりは、
何かをできる人が集まる場所ではなくて、
それぞれがそのままで関わる場所です。
ただ、
ここにはまだ問題もあります。
あまりは、サービスでもボランティアでもありません。
本来は、
まだ形になっていない何かを持った人たちが集まって、
一緒に支え合いながらつくっていく場所です。
でも今は、
僕たちが場を用意して、
体験として提供している形に留まっています。
それは、
ちゃんと説明できていなかったからだと思っています。
本当は、
「自分もやりたい」
「一人じゃ無理だけど、仲間がいるならやりたい」
そう思った人たちが、
自分の意思で関わる場所にしたい。
そういう人たちと一緒に、
つくっていきたいと思っています。
あまりは、綺麗に整えられた場所ではなくて、
まだ途中にある場所です。
この場所で実際に何が起きているのか。
リアル現場の話についてはまた書こうと思います。
