手と思想の職人録 (noteでも読めますhttps://note.com/kurashikku_work)
現場で、よくある瞬間があります。
誰かが、止まって見える瞬間です。
施主さんだったり、
監督さんだったり、
職人だったり。
立場は違うんですが、
似たような空気になることがあります。
何かを決めるタイミングで、
ふと止まる。
そのとき、周りは少しざわつきます。
「どうするんだろう」
「まだ決まらないのかな」
そんな空気です。
工程もあるし、段取りもあるので、
できれば早く決めてほしい、というのが本音です。
だから、
「こうした方がいいと思いますよ」とか、
「一旦こっちで進めますか?」とか、
少しずつ外から動かそうとする。
自分もずっと、そうやってきました。
今もやってしまうことがあります。
でも、
止まって見えるその時間って、
実際には止まっていないんですよね。
考えているし、
迷っているし、
決めようとしている。
途中なんです。
途中だから、止まって見える。
これ、当たり前のことなんですが、
現場にいると忘れがちになります。
こちら側には、こちら側の時間があるので。
今日ここまで進めたいとか、
このままだと納まらないとか、
いろんな理由で、
どうしても先に進めたくなる。
だから、
「そろそろ決めてほしい」と思う。
ここにズレがあるんだと思います。
で、
最近思ったのが、
自分は待っているつもりだったけど、
あれは待っていなかったのかもしれないな、ということです。
よくよく考えると、
自分の中で時間を測っていて、
その中で「まだか」と思っている。
そして、その時間を過ぎたら、
声をかけたり、判断を促したりしている。
これって、
待つというより、
自分の時間に相手を合わせにいっているだけなんじゃないかと。
期限を決めて、
その中で動いてほしいと思っている。
それは、
やっぱり、待つではなくて、
催促なんだと思います。
じゃあ、待つって何なのか。
まだはっきり言い切れる感じではないですが、
相手の感覚に委ねること、なんじゃないかと思っています。
自分の時間じゃなくて、
相手の中で流れている時間の方に寄せるというか、
そっちに合わせにいく感覚です。
ただ、これが難しい。
相手のことをちゃんと分かっていないとできないし、
分かったつもりでも、たぶんズレる。
想像とか推測だけだと、
どうしても解像度が足りないんですよね。
知っているのと、
やったことがあるのとで、
見え方が全然違うのと同じで、
その経緯とか感覚を、
自分の中に持っていないと、
どこが「途中」なのかが見えない。
だから、
ちゃんと待つって、
ただ時間をかけることじゃなくて、
どれだけ相手を理解できているか、
そこにかかっている気がしています。
たぶん、
ちゃんと待てていれば、
出てきたはずの結果もあるし、
逆に、
自分の感覚で区切ってしまったことで、
出てこなかったものもあるんだと思います。
まだなのか、もうすぐなのか。
この違い、
今も正直よく分かっていません。
でも、
たぶん自分は、
思っているより早い段階で区切ってきたんだと思います。
本当はもう少し待てたはずの場面で、
手を出してしまっていた。
ちゃんと待てていれば、
違う形になっていたものもあったのかもしれません。
もう少し、見れるようになりたいなと思っています。
