手と思想の職人録 (noteでも読めますhttps://note.com/kurashikku_work)

2026-03-28 21:15:00

現場で、よくある瞬間があります。

 

誰かが、止まって見える瞬間です。

 

施主さんだったり、
監督さんだったり、
職人だったり。

 

立場は違うんですが、

似たような空気になることがあります。

 

何かを決めるタイミングで、

ふと止まる。

 

そのとき、周りは少しざわつきます。

 

「どうするんだろう」
「まだ決まらないのかな」

 

そんな空気です。

 

工程もあるし、段取りもあるので、

できれば早く決めてほしい、というのが本音です。

 

だから、

 

「こうした方がいいと思いますよ」とか、
「一旦こっちで進めますか?」とか、

 

少しずつ外から動かそうとする。

 

自分もずっと、そうやってきました。

 

今もやってしまうことがあります。

 

でも、

 

止まって見えるその時間って、

実際には止まっていないんですよね。

 

考えているし、
迷っているし、
決めようとしている。

 

途中なんです。

 

途中だから、止まって見える。

 

これ、当たり前のことなんですが、

現場にいると忘れがちになります。

 

こちら側には、こちら側の時間があるので。

 

今日ここまで進めたいとか、
このままだと納まらないとか、

 

いろんな理由で、

どうしても先に進めたくなる。

 

だから、

 

「そろそろ決めてほしい」と思う。

 

ここにズレがあるんだと思います。

 

で、

 

最近思ったのが、

 

自分は待っているつもりだったけど、

あれは待っていなかったのかもしれないな、ということです。

 

よくよく考えると、

 

自分の中で時間を測っていて、

その中で「まだか」と思っている。

 

そして、その時間を過ぎたら、
声をかけたり、判断を促したりしている。

 

これって、

 

待つというより、

自分の時間に相手を合わせにいっているだけなんじゃないかと。

 

期限を決めて、

その中で動いてほしいと思っている。

 

それは、

 

やっぱり、待つではなくて、

催促なんだと思います。

 

じゃあ、待つって何なのか。

 

まだはっきり言い切れる感じではないですが、

 

相手の感覚に委ねること、なんじゃないかと思っています。

 

自分の時間じゃなくて、
相手の中で流れている時間の方に寄せるというか、

 

そっちに合わせにいく感覚です。

 

ただ、これが難しい。

 

相手のことをちゃんと分かっていないとできないし、

分かったつもりでも、たぶんズレる。

 

想像とか推測だけだと、

どうしても解像度が足りないんですよね。

 

知っているのと、
やったことがあるのとで、

見え方が全然違うのと同じで、

 

その経緯とか感覚を、
自分の中に持っていないと、

どこが「途中」なのかが見えない。

 

だから、

 

ちゃんと待つって、

ただ時間をかけることじゃなくて、

 

どれだけ相手を理解できているか、

そこにかかっている気がしています。

 

たぶん、

 

ちゃんと待てていれば、
出てきたはずの結果もあるし、

 

逆に、

 

自分の感覚で区切ってしまったことで、
出てこなかったものもあるんだと思います。

 

まだなのか、もうすぐなのか。

 

この違い、

今も正直よく分かっていません。

 

でも、

 

たぶん自分は、

思っているより早い段階で区切ってきたんだと思います。

 

本当はもう少し待てたはずの場面で、

手を出してしまっていた。

 

ちゃんと待てていれば、
違う形になっていたものもあったのかもしれません。

 

もう少し、見れるようになりたいなと思っています。