手と思想の職人録
ただ、うどんを食べながら思ったこと。
この前、大好きなうどん屋に行きました。
気がつけば、もう5年くらい通っている店です。
多いときは、月に2〜3回行っていた時期もあります。
4人で行きましたが、
あまり会話もなく、静かにうどんを食べていました。
いつも通り、変わらず美味いです。
厨房の奥では、
店主が黙々とうどんを作り続けています。
同じ場所で、同じ動きで、ずっと作り続けている。
たぶん、夢中なんだと思います。
もちろん、本当のところはわかりません。
ただ、そうだったらいいなと思いながら、食べていました。
もしこの店主にとって、
自分が夢中になれることと、
家族への責任や生活が、
「うどん」という形で重なっているのだとしたら、
すごくいいなと思ったんです。
この店には、従業員もけっこういます。
みんな黙々と、テキパキと動いています。
静かなんだけど、活気がある店です。
接客が特別丁寧というわけでもなく、
フレンドリーな雰囲気でもない。
でも、嫌な感じは一つもありません。
それぞれが、自分の持ち場を
ただ淡々とこなしている。
その空気が、すごくいいなと思いました。
店主はうどんを作っている。
従業員は店を支えている。
僕たちはうどんを食べている。
それぞれが、それぞれの役割を
ただやっているだけなんですが、
それが自然に噛み合っている感じがしました。
でも考えていくと、
その支えている人たちも、
別のところでは誰かに支えられているはずです。
僕も同じです。
自分がやっている仕事も、
一人では成立しません。
家族だったり、
お客さんだったり、
関わってくれる人がいて、
はじめて成り立っています。
そう考えると、
誰かの夢中は、誰かに支えられていて、
その人もまた、別のところで夢中を支えられている。
やがてそのバトンは、巡り巡って自分に返ってくる。
夢中は、
そうやって循環しているのかもしれないと思いました。
美しい構造だなと思います。
でもきっと、
特別なことではなくて、
こういうことは、
いろんな場所で起きているんだと思います。
夢中になれることがまだなくても、
身近な誰かの支えになっていれば、
そのバトンはどこかで巡って、
また自分に返ってくるのかもしれません。
そんなことを考えながら、
うどんを食べていました。
いい店だなと思ったのは、
そういうところだったのかもしれません。
またそのうち、食べに行くと思います。
