手と思想の職人録 (noteでも読めますhttps://note.com/kurashikku_work)
正解って、なんなんだろうなって、最近よく思っています。
現場でもよく聞かれます。これで合ってますか、とか。このやり方が正解ですか、とか。
自分も、昔はかなりそういうのを気にしていました。なるべく正しい方を選びたいし、変なことはしたくないし、遠回りもしたくない。だから、正解を知ってから動きたい、みたいな感覚がありました。
でも、やっているうちに、なんか違うなと思うことが増えてきて。
その時はこれが正解だと思ってやったことが、あとから見ると全然違ったりします。別の現場では通用しなかったり、人が変わると評価がひっくり返ったりする。
さっきまで正しかったはずなのに、っていう感覚になることがあるんですよね。
例えば、あるやり方でうまくいったとしても、条件が少し変わるだけで全然ダメになることもあるし、逆に、あまり良くないと思っていた方法が、あとから見ると一番良かった、みたいなこともある。
そういうのを何回も見ていると、
正解って、最初から決まってるものではないと思っています。少なくとも、自分が見てきた中では、そういうものには一度も出会っていません。
なんていうか、あとから「それが正解だった」って言われてるだけで、その時は誰も分かってなかったんじゃないか、みたいな感覚があります。
例えば、少し極端な話かもしれませんが、戦争に正解はあるのか、とか。どちらが正しいのか、とか。こういう問いに、はっきり答えを出せる人って、本当にいるんでしょうか。
時代背景や経緯、関わった人それぞれの立場や事情まで辿っていくと、単純に正しいか、間違っているかでは分けきれない気がします。
殺人事件もそうです。もちろん、やってはいけないことだという前提はある。でも、その背景に何があったのかまで含めて考えた時に、それを一言で正解・不正解と切り分けることに、少し引っかかることがあります。
法律やルールや常識も、絶対的なもののように見えて、時代や場所によって変わっていくものです。そういうものの上で判断されていることが、一律に変わらない正解と言い切れるのか。
自分は、まだよく分かっていません。
というか、正解という言葉は、そんな万能に使える言葉じゃなくて、かなり限定的なことにしか使えないものなんじゃないかと感じています。例えば、1+1=2。はい正解、みたいな。
そういう、答えが最初から決まっているものに対しては使えるけど、現実の中で起きていることに対して、同じ感覚で「正解」を当てはめようとすると、どこか無理が出てくる。
それでも、人は正解を欲しがるし、正解がある前提で考えることに慣れている気がします。
学校でも、仕事でも、評価されるのは「正しく答えたかどうか」で、考えた過程よりも答えの方が重く見られることが多い。だから、正解を知ろうとするし、外さないように動くし、できるだけ間違えないルートを選ぼうとする。
それ自体は悪いことではないと思います。効率もいいし、安心もできる。
でも、そのまま続けていくと、気づいたら、自分で考えなくても生きていける状態になることもある。
選ぶことには慣れているけど、決めることには慣れていない、みたいな。これって、少し怖いなと思います。
用意された選択肢の中から選び続けることと、何もないところから自分で決めることは、似ているようで全然違うので。
正解を外したくないという気持ちが強くなると、そもそも選ばなくなることもある。失敗しそうならやらない、とか。間違えそうなら手を出さない、とか。
それって、間違えていないように見えて、何も起きていないだけなんじゃないか、と思うこともあります。
自分の中では、迷いながら選んだこととか、うまくいかなかったことの方が、後から残っていることが多いです。その時は間違いだったと思っていても、あとから見たら、あれがあったから今がある、と思えることがある。
逆に、その時「正解っぽいもの」を選んだことの方が、何も残っていないこともあります。
そう考えると、正解かどうかよりも、どう向き合ったかの方が大事なんじゃないかと思っています。
ちゃんと考えたか。ちゃんと迷ったか。ちゃんと選んだか。
その積み重ねが、あとから自分の中で「これでよかったのかもしれない」と思えるものになるだけで、最初から正解があったわけではないのかもしれません。
だから、正解を探すな、という話ではなくて、正解を前提にしすぎない方がいいんじゃないか、という感覚です。
分からないまま考えるとか、決まっていない中で選ぶとか、そういうのを避けないこと。その方が、遠回りに見えるかもしれないけど、あとからちゃんと、自分の足で立てるようになる気がしています。
もし、人類が誕生してから今まで、ずっと変わらない正解があるなら、自分も知りたいです。
でも、今のところは、まだ見つかっていません。
だから、今日も、分からないまま考えています。
