手と思想の職人録

2026-02-27 07:09:00

スパイラルだと気づいたとき、
少し落ち着きました。

 

振れていても進んでいる。

 

同じところを何度も通っているようでも、
僅かにずれている。

 

それで、かなり腑に落ちた。

 

でも、まだスッキリしないことがありました。

 

前って、なに?

 

宇宙空間に放り出されたとします。

 

自分の目の前が前で、
頭の方向が上で、
足の方向が下で、
右手のほうが右。

 

それはわかる。

 

でも、そのまま目の前に進んだら、
それは本当に前なんでしょうか。

 

方向を成立させたいなら、
どこかに仮の杭を打つしかない。

 

「こっちを北とする」と決める。

 

でもそれは、
自分がその場で定義しただけの方向です。

 

絶対の北ではない。

 

例えば、
別の場所から北へ向かって進んできた人がいるとします。

 

その人も、自分も、
それぞれが「北」だと思う方向へ進んでいる。

 

そして、どこかですれ違ったとき、
あれ?と初めて気がつく。

 

方向は、それくらい曖昧で不安定なものなんだと思います。

 

この世界に、
揺るがない共通の上下左右が
最初から用意されているわけじゃない。

 

あるのは、
それぞれが仮に定めた方向だけ。

 

それなのに、
その仮の方向を「合っている」とか
「みんな共通だ」と思い込んでしまうことがある。

 

でもそこに気づいたとき、
心が少し軽くなりました。

 

世界が、急に広くなった感じがしました。

 

自分が自由に方向を定めていいなら、
他の人も自由に定めていていい。

 

同じでなくていい。

 

それぞれが、それぞれの空間を
それぞれの北で進んでいる。

 

そう思えたとき、
空間が柔らかくなった気がしました。

 

スパイラルで世界を捉えるようになってから、
上下左右という感覚は、かなり薄くなりました。

 

振れているかどうか。

 

軸を感じられているか。

 

動いているかどうか。

 

それがわかれば、十分だと思えるようになりました。

 

個々のスパイラルを少し離れて見ると、
あるイメージが浮かびます。

 

顕微鏡で血液の流れを見ているような感覚です。

 

一つひとつは、
あっちへ揺れ、こっちへ揺れ、
ぶつかり、離れ、漂っている。

 

上下左右に向かっているようにも見える。

 

でも全体は、
確実に一方向へ流れている。

 

心臓から出て、
また心臓へ戻る。

 

循環している。

 

それで、生きている。

 

個々の動きは自由に見えるのに、
全体はちゃんと流れている。

 

その構造が、
自分の中のスパイラルの感覚と重なりました。

 

不安定に見えていたものが、
実は流れの一部だった。

 

揺れは揺れでいい。

 

でも止まっていないこと。

 

流れていること。

 

そこに、僕は生きている実感を感じます。

 

方向の正しさより、
動いているという感覚のほうが、
自分にはしっくりきています。

 

活きていなければ、生きていられない。

 

たぶんその感覚は、
ここに繋がっているんだと思います。

 

少し長くなってきたので、
後編に続きを書きたいと思います。