手と思想の職人録

2026-02-26 19:15:00

自分が不安定であることを認めたとき、
少しだけ、不安もありました。

 

信念や大切にしていた軸が、
一瞬で書き換わることもある。

 

そういうことになる。

 

じゃあ、自分とは何なんだろう。

 

どんな人間なんだろう。

 

自分のアイデンティティが、
少し曖昧になった感じがしました。

 

でも、そこで気づいたことがあります。

 

「振れている」と認識できるということは、
そこに基準があるということ。

 

振れ幅だとわかるということは、
どこかに軸がある。

 

もし本当に軸がなければ、
振れていることすらわからない。

 

そう考えたとき、
少し安心しました。

 

自分が揺れていると感じるその瞬間に、
実は軸はちゃんと存在している。

 

揺れていることを、
自分が認知しているから。

 

それがわかったとき、
不安は少しずつ消えていきました。

 

むしろ逆でした。

 

振れ幅があるからこそ、
自由に動ける。

 

軸を見失わなければ、
どれだけ振れてもいい。

 

上にも下にも、
右にも左にも。

 

大きく振れれば振れるほど、
見える景色も増えていく。

 

ここで、もう一つ腑に落ちたことがあります。

 

ずっと「円」のイメージで考えていました。

 

中心があって、
そのまわりをぐるぐる回る。

 

でも、それだと何か足りない。

 

動いているようで、
進んでいない感じがしていた。

 

そこに時間が加わったとき、
全体像が少し立体的に見えました。

 

中心と振れ幅、
そして時間。

 

それは円ではなく、
スパイラルでした。

 

ただ振れているように見えて、
実は進んでいる。

 

同じところを何度も通っているようでも、
僅かに進んでいる。

 

軸を保ったまま、
回転しながら進んでいる。

 

それがわかったとき、
ものすごく安堵しました。

 

ああ、これでいいんだ、と。

 

世界が少し、キラキラして見えました。

 

このスパイラルは、
どこに向かっているのかはわかりませんでした。

 

でも、その時点では
「どこに向かっているのかわからない」ということ自体が、
不安ではなくなっていました。

 

上下も左右も、
前も後ろも、
実はそんなにはっきりしたものではないのかもしれない。

 

ただ、軸を保ったまま回転しながら進んでいる。

 

それだけで十分だと思えた。

 

「どこ」というものについては、
そのあと、また少し考えることになります。

 

位置や方向というものを、
どう捉えるのか。

 

それもまた、自分の中で上書きされていく話でした。

 

その話は、また次に書こうと思います。