手と思想の職人録
技術は、努力の延長線上にあるけれど、理解で掴めるものではない。
ある臨界点を越えて、身体が別の次元に入ったとき、気づけば掴まれていることがある。
これは理屈ではなく、体験として知っていることです。
最初にそれを知ったのは、スポーツの試合中でした。
シュートを打つ前から、100%入るとわかる。
残り時間が少ないはずなのに、時間がほとんど進んでいないように感じる。
視界は少し狭くなり、周囲には靄がかかったように見える。
必要なものだけが鮮明で、すぐ目の前にある。
近くに人がいるのはわかる。
でもその人が動いているのか止まっているのかもよくわからない。
というより、関係ない。
判断はできるけど、判断する必要がない。
身体は自動操縦で、ゴールへ向かう。
ゴールはいつもより大きく、近くに見える。
そこにボールを“置くだけ”で入るとわかっている。
疲れも呼吸も感じない。
その瞬間、同時に理解していることがありました。
この状態は永遠には続かない。
いつ終わるかはわからない。
でも、いま確実に“入っている”。
そしてもう一つ。
絶対に存在しているはずの「時間」という構造の外に、
別の構造があるのではないか、という感覚。
夢ではありません。
完全に覚醒している。
それでも、明らかにいつもの世界ではない。
そのとき思いました。
この世界は自分が思っていたよりも、リアルではないのかもしれない。
それがまさか、職人の現場でも起きるとは思っていませんでした。
ある作業がどうしても掴めない。
練習しても上手くできない。
疲れるし、正直好きではなかった。
過去一番の施工量。
体力も限界。
納期も迫っている。
ヒーヒー言いながら作業をしていたとき。
その時は前触れもなく訪れました。
一連の動作のなかで、継ぎ目なく、すっと別の次元に切り替わる感じ。
すぐに思い出しました。
「まじか、ゾーンに入った」
スポーツのときと同じ感覚。
でも今回は勝負ではなく、能力そのものが拡張するタイプのゾーンでした。
技術が、もう習得されている。
思い通りに、美しく、速く、楽に動ける。
身体は踊るように動き、作業はまるでダンスのようでした。
さっきまで苦しかったはずなのに、苦しさがどこにもない。
視界は少し狭い。
でも必要なものは完璧に見える。
時間は進んでいるはずなのに、
その外側にいるような感覚。
この状態も、永遠ではないとわかっている。
でも、確実に入っている。
そしてその日を境に、その作業は苦手ではなくなりました。
できなかった頃の身体感覚を、思い出せなくなったのです。
もし、同じ五感を使っているのに、状態によって世界の見え方が変わるのだとしたら。
普段、自分が「現実」と呼んでいるものは、本当に固定された世界なのでしょうか。
音も、色も、距離感も、時間も。
状態が変わると、確実に変わる。
ゾーンを経験すると、そんな問いが自然と立ち上がります。
考えていることは、まだまだ尽きません。
また書くと思います。
